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第四話:初めてのぬくもり、初めての味

オリジナル小説

クラリスの小さな家に帰ってきた二人は、さっそく夕食の支度に取りかかった。
といっても、料理の経験など微塵もないエリアンは、椅子の座面を壊さないように慎重に腰掛け、調理場に立つクラリスの背中をじっと見つめることしかできない。

コトコトと小気味よい音が響き、家の中に香ばしい、そしてなんとも食欲をそそる匂いが満ちていく。
竜にとっての食事とは、ただ「魔力と栄養を補給するために獲物を喰らう」という野生の行為でしかなかった。
しかし、クラリスの楽しそうな鼻歌を聴きながら待つこの時間は、エリアンにとってまるで極上の儀式のようだった。

「お待たせしました! 今日は、採れたてのひだまり草を使ったスープと、特製のミートパイです」

クラリスが笑顔で運んできたのは、湯気が立ち上る素朴だが温かみのある料理の数々。
パイの表面はきつね色にこんがりと焼け、スープからはハーブの優しい香りが漂っている。

「……ふん。見た目は悪くない。だが、俺の舌は肥えているぞ。そう簡単に美味いとは――」

いつものように虚勢を張りながら、エリアンはスプーンを手に取った。
シャドウ・ベアの爪を片手で受け止めたその指先が、小さなスープ用のスプーンを持つと、なぜか妙にぎこちない。
彼は細心の注意を払ってスープをすくい、口へと運んだ。

――その瞬間、エリアンの動きが完全に停止した。

「え、エリアンさん……? お口に合いませんでしたか?」

クラリスが心配そうに覗き込んでくる。
しかし、エリアンは答えることができなかった。
なぜなら、口の中に広がったその味わいが、あまりにも衝撃的だったからだ。

それは、ただの塩気やハーブの味ではなかった。
じっくりと煮込まれた野菜の甘み、肉の旨味。
そして何より、自分を喜ばせようと丁寧に作られた「誰かの温もり」そのものが、スープを通じてエリアンの体中に染み渡っていく感覚。

あまりの美味しさと、胸の奥から湧き上がる熱い感情に、エリアンの金の瞳から、ポロリと一筋の涙がこぼれ落ちた。

「……えっ!? エ、エリアンさん!? 泣いちゃうほど不味かったですか!?」

クラリスは大慌てで立ち上がった。最強の竜が、少女の手料理一口で完全にノックアウトされた瞬間だった。

「ち、違う! 不味いわけがあるか、この大馬鹿者!」

エリアンは慌てて顔を背け、外套の袖で手荒に涙を拭った。
数百年を生きてきて、痛みの涙すら流したことのない自分が、よもや人間の作ったスープごときで涙をこぼすなど、天地がひっくり返っても認められるわけがない。

「じゃあ、どうして……?」

なおも心配そうに覗き込んでくるクラリスに、エリアンは耳まで真っ赤にしながら、蚊の鳴くような声でボソリと呟いた。

「……美味すぎるのだ」

「え?」

「美味すぎる、と言ったのだ! こんなに温かくて、胸の奥がじんわりとするような飯は……生まれて初めて食べた。貴様、一体どんな魔法をかけた?」

睨みつけるような強い視線。
しかし、その瞳に宿っているのは敵意ではなく、純然たる感動と、隠しきれない照れくささだった。

それを理解した瞬間、クラリスの不安そうな顔が、一気にパッと明るい笑顔へと変わった。

「ふふ、魔法なんてかけていませんよ。強いて言うなら『美味しくなーれ』っていうおまじないくらいです。……良かった、お気に召して」

「ふん、おまじないなどという非科学的なもので、この俺の舌が誤魔化されるか。……だが、まぁ、作ってくれた奴への礼儀として、残さず食べてやる」

エリアンはそう言うと、今度はもの凄い勢いでスープを口へと運び始めた。
さらに、横にあるきつね色のミートパイに手を伸ばし、ガブリと大きな口で噛み付く。
サクサクとした小気味よい音とともに、溢れ出す肉汁とハーブの香りが口いっぱいに広がった。

「美味い……! これも美味いぞ、クラリス!」

「ありがとうございます、エリアンさん。ゆっくり食べてくださいね、喉に詰まらせちゃいますから」

竜としての本能的な食欲が刺激されたのか、エリアンは上品ぶることも忘れ、一心不乱に料理を平らげていく。
クラリスはその様子を、まるで宝物を見るかのような、本当に嬉しそうな目で見つめていた。

自分の作った料理を、これほどまでに美味しそうに、全力で食べてくれる。
その姿が、彼女の心にもまた、小さな温かい灯火を宿していくのだった。

「ふぅ……。この辺りの人間は『ごちそうさまでした』というのだったか……。ごちそうさまでした……でいいのか?」

「ふふ……お粗末様でした。」

あれほどあった大皿のミートパイも、並々と注がれていたスープも、すべてエリアンの胃袋へと消え去っていた。
空っぽになった器を前に、エリアンはこれまでにない満足感に包まれ、ふにゃりと眉を下げていた。
最強の竜の威厳は完全にどこかへ吹き飛んでいる。

「こんなに綺麗に食べてもらえるなんて、作った甲斐があります」

クラリスは嬉しそうに微笑むと、空になったお皿を片付けようと手を伸ばした。
それを見たエリアンは、ハッと我に返る。

(待て。ただ座って食うだけ食って、片付けもさせるとは……人間の男として、いや、スマートな騎士としていかがなものか!? ここは俺が手伝うべきだ!)

「おい、待て。皿洗いくらい、俺がやってやる。貴様は座っていろ」

エリアンはそう言うと、クラリスからお皿をひったくるように奪い取り、調理場へと向かった。
しかし、彼の脳裏に、これまでの数々のやらかし(粉砕された木箱の取っ手、壊れかけた椅子のギシギシ音)がフラッシュバックする。

(落ち着け、俺。これはただの土くれを焼いた器だ。俺がほんの少しでも指先に魔力や筋力を込めれば、粉々に砕け散ってクラリスの思い出の食器が消滅する……!)

水道(魔石式の簡易水場)の前で、エリアンはまるで爆弾の解体作業でもするかのように冷や汗を流し、皿を一枚つまみ上げた。その手はガチガチに震えている。

「ふふ、エリアンさん。そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ」

いつの間にか後ろに立っていたクラリスが、困ったように、けれど愛おしそうに笑った。
彼女はエリアンの背後にそっと寄り添うと、彼の大きな手を、自分の小さな手で後ろから包み込むように重ねた。

「――っ!?」

背中に伝わる彼女の体温、そして間近から漂うハーブとお日様の匂い。
エリアンの心臓が、今日一番の爆音で鼓動を刻み始める。

「力は入れなくていいんです。こうやって、優しく、泡で包むように滑らせるだけで……ほら、綺麗になりますよ?」

クラリスはエリアンの手を導きながら、ゆっくりとお皿を洗っていく。
エリアンは生きた心地がしなかった。
自分の巨大な魔力が、彼女のあまりの近さと温もりによって暴走してしまわないか、それだけが心配だった。

しかし、同時に、これまでに感じたことのない深い安心感が、彼の心をそっと満たしていくのだった。

「……あ、あの、クラリス。もう綺麗になったと思うのだが」

エリアンは顔を限界まで真っ赤にしながら、ようやくそれだけの言葉を絞り出した。
クラリスに手を重ねられていた時間はほんの数十秒だったはずだが、彼にとっては数百年もの歳月に匹敵するほど濃密で、心臓に悪い時間だった。

「あ……! ご、ごめんなさい、つい……っ」

クラリスもハッと我に返り、自分がエリアンの背中にぴったり寄り添うようにして手を重ねていたことに気づいたのだろう。
白い頬を林檎のように真っ赤に染めて、慌てて数歩後ろへと飛び退いた。

お互いに顔を真っ赤にしたまま、調理場でそっぽを向く青年と少女。
沈黙の中に、窓の外から聞こえる虫の音だけが静かに響いていた。

やがて、窓の外は完全に夜の帳が下り、満天の星が夜空を飾り始めていた。
これ以上長居するのは人間の礼儀に反する、と(にわか仕込みの知識で)判断したエリアンは、名残惜しさを胸に押し込み、玄関の扉へと向かった。

「……今日は、その、色々と悪くなかった。飯も、皿洗いも、だ」

素直に「楽しかった」「嬉しかった」と言えない不器用な銀竜に、クラリスははにかむように微笑んだ。

「はい。私もとっても楽しかったです。エリアンさん、また……いつでも遊びに来てくださいね。美味しいご飯を作って待っていますから」

「ふん……。気が向いたら、また来てやってもいい」

どこまでも尊大な態度を崩さないエリアンだったが、その金の瞳は、愛おしそうにクラリスの姿をしっかりと焼き付けていた。

扉が閉まり、ひんやりとした夜の静寂がエリアンを包み込む。
彼は人里離れた夜道を歩きながら、そっと自分の右手のひらを見つめた。
そこにはまだ、クラリスの小さな手の温もりが奇跡のように残っている気がした。

かつては脆弱で、価値のない存在だと思っていた人間。
しかし今、エリアンにとって世界で最も価値があるのは、あの小さな家で暮らす、ひだまりのような少女の笑顔だった。

(また明日も、あの村へ行こう。今度は、もっと上手く人間の歩調に合わせて歩けるように――)

夜空に輝く美しい銀月が、恋を知った不器用な竜の行く道を、優しく、どこまでも温かく照らし出していた。

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オリジナル小説銀の竜と、ひだまりの乙女
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