夕方。
遠くで、後夜祭の準備の物音が聞こえる。
行列の波が、ようやくちょっと引いてきた。
窓の外は、茜色。
学園祭も、もう、終わりが近い。
そして。
何度も、何度も並び直したあの子が。
とうとう、行列の、最後の一人になった。
「……いらっしゃい。もう何回目? 君。……まじで、ウチの手洗い、ハマったっしょ」
彼は、へへ、と、はにかんで。
カウンターの前の椅子に座った。
教室には、もう、ウチと、彼だけ。
ギャル友たちは、後夜祭の準備で、みんな出払ってて。
残ってるのは、看板娘の、ウチだけ。
……二人きり。
そう思ったら。
急に、心臓が、変な鳴り方をした。
「もー。最後のお客さんなんだから。……とびきりの手洗い、したげる。ほら、手ぇ、出して」
いつもどおり、彼の手を洗う。
にゅる、ぬる、と泡ですべる、大きな手。
もう、何回も洗った、この手。
指の股の、深さも。
手首の、骨の位置も。
ぜんぶ、覚えちゃった、この手。
ぬちゅ、くちゅ、と泡の水音。静かな教室に、それだけが響いてる。
洗いながら。
ウチは、ずっと、考えてた。
腕に胸を当てる、あの特別サービス。
あれ、もう一回、したげよっか。
……それとも。
もっと、すごいの。
だめだ。
考えたら、顔から火ぃ出そう。
でも。
この子の、うれしそうな顔が、見たい。
それだけは、まじで、ほんと。
意を決して。
ウチは、カウンターの、内側から。
彼の座る椅子の、すぐそばまで回り込んだ。
彼の、正面。
立ったままの、ウチと。
座ったままの、彼。
目の高さが、近い。
吐息が、かかりそうなくらい、近い。
「……あ、あのさ。最後の子、だけの……とっておきの、特別コース、が、あって」
彼が、こくり、と、息を呑むのが、わかった。
ウチは。
自分の、制服のスカートの、裾を。
両手で、つまんで。
そっと――たくし上げた。
さら、と。衣擦れの音が、静かな教室に響いた。
「……み、見んなよ? これは、その……手ぇ、洗うのに、必要、だから。ふ、深い意味とか、ないし……っ」
あらわになった白い内もも。
まだ、泡のついた彼の右手を取って。
ウチは――それを。
自分の、閉じた太ももの、あいだに。
挟んだ。
むにゅ。
「……こ、これが……ぎゃ、ギャル秘伝の、内ももプレス洗い。……りょ、両方の、太ももで、はさんで。……ぬ、ぬめりで、汚れ落とす、っていう……っ」
そんな洗い方、あるわけ、ないじゃん。
自分でも、わかってる。
でも、止まんない。
ウチは。
彼の手を、内ももで挟んだまま。
太ももを、ゆっくり閉じて――ひらいて。
閉じて、ひらいて。
泡ですべる、太い手を。
内ももで、しごくみたいに洗ってく。
にゅる。
ぬちゅ。
ぬる、ぬる。
「……ん、っ。……ど、どう。……ていねい、っしょ。ウチの、手洗い……っ」
やば。
なにこれ。
手ぇ、洗ってるはずなのに。
内ももを、彼の手が、すべるたび。
脚のつけ根の、いちばん奥が、じんじん、する。
石鹸の泡が、内ももを、とろとろ、伝って落ちる。
……ううん。
これ、ほんとに、泡かな。
内ももを伝う、そのぬめりが。
だんだん、泡のさらさらとは、ちがう。
もっと、とろりと、熱くて。
下着の、股のとこから。
じわ、と。
にじんで、きてる、気が、する。
「……え。な、なんで。……これ、石鹸、だよね。……ウチ、泡、つけすぎ、たかな……っ」
ちがう。
つけすぎてなんか、ない。
石鹸の桜の匂いに、混じって。
もっと、あまくて、恥ずかしい、匂いが。
ふわ、って、立ちのぼってる。
……ウチの、身体から。
やだ。
これ、ぜったい、彼にも、匂い、バレてる。
そう思ったら。
恥ずくて、逃げ出したいのに。
腰の奥が、きゅうっと疼いて。
逆に、もっと、押しつけたく、なる。
「……も、もっと、すごいの、したげる。……特別、だから……っ」
ウチは。
彼の膝の間に、割り込むように踏み込んだ。
彼の手を、内ももで挟んだまま。
今度は――自分の、いちばん恥ずかしいところを。
パンツ越しに。
彼の、手の甲に。
そっと、押し当てた。
むに、と。
薄い布ごしに、やわらかいところが、つぶれる。
近すぎて彼の息が内腿に当たる。
「……っ、こ、これも、洗ってる、から、ね。……ぱ、パンツ、越し、だし。……なにも、してない……ん、んっ」
嘘だ。
洗ってなんか、ない。
ウチは、彼の手の甲に、お股を押し当てたまま。
腰を。
前に、うしろに。
ゆら、ゆら、と。
自分から、こすりつけて、た。
にゅる、ぬちゅ、と鳴るのは、もう。
泡の、せいだけじゃ、ない。
パンツの内側は、とっくに。
泡じゃない、ウチの、熱いもので。
ぐしょぐしょに、なってる。
「……っ。……ま、まって。……ウチ、いま、なにして……っ」
我に返る。
男子の手に、お股を、こすりつけて。
腰を、振ってた。
――手を洗う、出し物、なのに。
彼は。
なにも言わずに。
ただ、真っ赤な顔で、ウチを、見上げてた。
その手は、ウチの内ももに挟まれたまま。
決して、自分から、いやらしく動かしたりしない。
ぐっと、こらえて。
ウチの、暴走を、受け止めて、くれてた。
……その、優しさに。
ウチの、目の奥が、じんと熱くなって。
そして、脚のあいだは、もっと、恥ずかしく、濡れた。
「……お、しまい。特別コース。……これ以上は……う、ウチの、ほうが、もたない、から……っ」
ふたりの、乱れた息づかいだけが、教室に残ってる。
膝を、下ろす。
スカートを、下ろす。
彼の手が、離れる。
内ももには、まだ、彼の手の大きさと熱が、残ってる。
そして、パンツの奥は。
泡とは、ぜんぜんちがう、恥ずかしいもので。
……ぐっしょり、してる。
「い、今の、ぜんぶ、忘れて。学園祭の、魔法、だから。……とくに、さいご。……ウチが、その……ぬ、濡れてた、とか。……ぜ、ぜったい、気のせいだからねっ」
矛盾してる。
自分でも、わかってる。
でも、これが精一杯。
だって、ウチ。
この子のこと。
もう、ただのお客さんだなんて。
思えなく、なってるから。
人の気配が、すう、と引いていく。
学園祭、終了の、アナウンス。
校内放送が、遠くで、そう告げた。
窓の外は、もう、夕焼け。
教室に差し込む光が、オレンジ色に染まってる。
ハンドソープランドも、閉店。
カウンターの上には、使い終わったタオルの山。
半分になった、ハンドソープのボトル。
そして。
帰らずに、まだそこにいる、ひとりの、お客さん。
「……あれ。まだいたの、君。もう、閉店だよ?」
彼は、椅子に座ったまま、ウチを見て。
帰りたくない、みたいな顔を、してた。
ウチも。
ほんとは。
帰ってほしく、なかった。
ギャル友たちは、後夜祭のキャンプファイヤーに、行っちゃった。
早く来なよ、って、笑いながら。
ウチは、片付けあるから、って。
残った。
……ほんとは。
この子と、二人になりたくて、残ったのかも、しんない。
ウチは、タオルを、一枚ずつたたむ。
使い終わった、たくさんの、ふかふかのタオル。
今日、この手で、何人の手を洗ったんだろ。
最初の真っ赤な男子。指の股で、びくって跳ねた、あの手。
それから、ウチを翻弄した、こわい先輩。
耳に息を吹きかけられて、腰、抜けそうになった。
……あれは、思い出しても、恥ずい。
いろんな手を、洗った。いろんな人と、近づいた。
でも。
ウチの心臓が、いちばんうるさく鳴ったのは。
ぜんぶ、この子の、手のときだった。
「今日は……その。何回も、来てくれて。ありがと、ね。おかげで、ウチのクラス、売り上げ、一位だったっぽいし」
彼が、なにか言った。
なぎさの手洗いが、いちばん、よかった。
だから、何回も、来たんだ、って。
そんなこと。
まっすぐ、言うから。
「……もー。そういうの、真顔で言わないでよ。……こっちが、困る、じゃん」
夕日の教室で。
ふたり、向かい合って。
言葉が、続かない。
でも、この沈黙が。
ぜんぜん、いやじゃ、なかった。
ウチは。
ちょっとだけ、迷って。
それから、意を決して。
ギャルの鎧を、ぜんぶ、脱いだ。
「……あのさ。ひとつだけ、白状する。……ウチ、ほんとはさ。……今日の、ぜんぶ。手洗いも、その……特別コースも。……はじめて、だったの」
彼が、目を丸くするのが、わかった。
「……びっくりした? ウチ、ギャルだし、こういうの慣れてる風にしてたけど。……男子と、あんなに近づいたの、まじで、生まれてはじめて。……恋愛も、まだ、一回も、したことなくて」
言っちゃった。
いちばん、恥ずかしい、こと。
最強の看板娘の、鎧の下の、素のウチ。
「……だから、さ。あんなに、心臓ばくばくで。……あんなに、へん、なってたの。……全部、君の、せいなんだから、ね」
言ったあと、心臓が、ばくばくした。
ウチ、いま、まじで、告白みたいなこと、言った。
顔、ぜったい、りんごみたいに赤い。
でも、不思議と。
後悔は、しなかった。
ウチは。
最後に、もう一回だけ。
彼の手を、取った。
「……最後に、もう一回だけ。手、洗わせて。……サービス。……ただの、無料の」
ポンプを、押す。
桜の香りの、泡を、立てて。
彼の大きな手を、両手で包む。
にゅる、ぬる、と。
今日、何十回も繰り返した、その動き。
でも、この一回だけは。
なんか、ぜんぜん、ちがった。
ぬちゅ、くちゅ、と、やさしい泡の水音。教室は、静か。
指の股を、洗う。
手首を、洗う。
一本ずつ、指を、包んで。
まるで、この手を、覚えとこう、とするみたいに。
ゆっくり、ゆっくり。
「……不思議。今日、はじめて会ったのに。……君の手のこと、家族の次くらいに、知っちゃった気が、する」
彼の指が。
泡のなかで。
ウチの指に。
そっと、からんできた。
握るでも、なく。
ただ、ふれあうように。
指と、指を。
ウチは。
振りほどか、なかった。
むしろ。
ウチからも。
きゅ、と。
握り返した。
指と、指の、あいだ。
泡が、とろりとすべって。
ウチの指と、彼の指の、境目が。
だんだん、わかんなくなってく。
どこまでが、ウチの手で。
どこからが、彼の手か。
……ずっと、こうしてたい。
そんな子どもみたいなこと思ってる自分に、びっくりする。
ギャルで、余裕で、なんでもこなせるはずの、ウチが。
たった一人の男子と、手ぇ繋いでるだけで。
こんなにしあわせで、こんなに泣きそうなんて。
「……手を、洗うだけの、お店だったのに。……ウチ、なんか。……手ぇ洗うだけじゃ、足りなく、なっちゃった」
泡を、流す。
お湯が、ふたりの、繋いだ手を、伝って、落ちてく。
桜の匂いが、教室に、ふわりと、残る。
洗い終わっても。
ウチらは。
手を、繋いだまま。
離さなかった。
「……ね。連絡先、教えてよ。……手洗いの、アフターケア、ってことで。……ちゃんと、乾いたか、確認しないと、だし。……ほ、ほら、責任、ってやつ?」
苦しい、言い訳。
自分でも、わかってる。
でも。
彼は。
ふ、って、笑って。
うん、って。
頷いて、くれた。
やった、って、心の中で、ガッツポーズ。
でも顔は、澄ました感じ、キープして。
……ウチ、こういうとこ、ほんと、素直じゃない。
わかってる。わかってるんだけど。
好きな子の前だと、どうしても、意地、張っちゃうの。
――あ。
いま、ウチ、心の中で。
この子のこと、好きな子、って、言った。
「……もー。なんで笑うの。……こっちは、まじで、真剣なんですけど」
窓の外で。
キャンプファイヤーの、火が、上がった。
遠くで、歓声。
オレンジ色の光が、ふたりの繋いだ手を照らす。
ウチは。
まだ、ちょっと泡の匂いのする手で。
彼の手を、握りながら。
思う。
……へんな出し物、だった。
ハンドソープランド、なんて。
恥ずくて、何回も、逃げ出したくなった。
でも。
この手を、洗えて。
この子と、出会えて。
――よかった。
心から、そう、思う。
「……また、洗わせてね。君の手。……ずっと。……ウチだけに、さ」
遠くのキャンプファイヤーの歓声。そして、ふたりの、静かな笑い声。
にゅるにゅるの泡と。
真っ赤な顔と。
繋いだ手の体温と。
――手を洗うだけの、あの日の、魔法。
そのぜんぶを。
ウチは、たぶん。
おばあちゃんになっても、忘れない。


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