教室のざわめきが、さっきより増してる。断続的な水音と、笑い声と、順番待ちの気配。
お昼を過ぎるころには。
ウチは、まあまあ手洗いに慣れてた。
何人洗っただろ。
男子も、女子も、先生も。
指の股も、手首も、もう目つぶってても洗える。
最初のあのバクバクは、忙しさに紛れて、どっか行って――
「はいっ、いらっしゃーい♪ お手ぇ、こちらにどーぞ」
……なんて、思ってたんだけど。
その余裕を、ぶっ壊してきたのは。
次に座った、女の子だった。
カウンターの前で、椅子を引く音。凛とした気配。
たぶん、一個上の先輩。
さらさらの黒髪に、切れ長の目。
モデルみたいにきれいで。
……なんか、めちゃくちゃ余裕そう。
「あ、いらっしゃいませー♪ 先輩、お手ぇこちらにどーぞ」
でも先輩は、手を出さなかった。
かわりに。
カウンターに頬杖をついて、ウチの顔をじいっと見て。
にこ、と笑った。
そして、差し出すどころか。
逆に、ウチの手を、取った。
……え。
かわいい手してるね、看板娘さん。
そう囁かれた。
ねえ。あなたの手も、洗ってあげよっか。
「……へ? ……い、いや、ウチは、洗うほう、で……っ」
先輩の指が。
ウチのてのひらを、つう、となぞる。
泡もないのに。
指の股を、するり。
さっきまで、ウチが男子にしてた、それを。
そっくりそのまま、やり返すみたいに。
「……っ、ちょ、せ、先輩っ、それ、くすぐった……っ、んっ」
やば。
なにこれ。
される側にまわると、こんなに恥ずいの。
ウチ、いつもこれ、男子にしてたわけ!?
先輩は、くすくす笑って。
ウチの手を、離さないまま。
すっと身を乗り出して。
ウチの、耳もとに、唇を寄せた。
ねえ。看板娘さん、耳、弱いでしょ。
吐息ごと、そう囁かれて。
「……っ、ぁ、や、やだ、耳っ、耳やめ……っ、ぅ、ふぁ……っ」
だめ。
それ、まじでだめなやつ。
耳に息、かけられただけで。
腰から、力が抜けて。
内ももが、きゅうって、勝手に閉じる。
……なんで。
女の子相手に。
ウチ、こんなになってんの。
先輩は、満足そうに身を引いて。
真っ赤なウチの顔を見て、くすっと笑った。
やっぱり。イキがってるけど、ぜんぜんうぶなんだ。かわいい。
そう、見透かすように。
「……っ、う、うぶとか、ちがっ……。ウチは、その……まじ慣れてるし……っ、うぅ」
ぜんぜん、慣れてない。
声、上ずりまくり。
先輩には、ぜんぶバレてる。
先輩は、席を立って。
最後に、ウチの頬を、指でつん、とつついて。
また揶揄いに来るね、看板娘さん。
そう言い残して、人混みに消えてった。
「……なにあれ。なにあれぇ……。ウチ、女の子に、翻弄された……っ」
心臓、ばくばく。
耳、まだ熱い。
内もも、まだじんじんしてる。
下着の奥が、ちょっとしめってる気がするのも。
……ぜんぶ、気のせいってことに、しとこ。
最強の看板娘。
男子どころか、女の子にまで、めちゃくちゃにされて。
……ウチ、ほんと、どうなってんの。
でも。
女の子にめちゃくちゃにされたのなんて、まだ序の口だった。
ほんとに、まずかったのは。
――そのあとに来た、あの子だった。
問題は、あの子だった。
さっき手洗いに来た、あの子。
また列に並び直して、戻ってきた。
ウチと目が合うと、真っ赤になって、うつむく。
なのに、ちゃんと、また来る。
「……あれ? また来たの、君。ウチの手洗い、そんな気に入っちゃった? ……ふふ、しょーがないなぁ」
彼は、こくこく、と頷いた。
素直か!
その素直さに、ウチのほうが、負けそうになる。
そのとき。
カウンターの外を通りかかったギャル友が、にやにやしながら、耳打ちしてきた。
なぎさぁ、常連にはさ、特別サービスしたげなよ。
ほら、洗いながら、腕に、おっぱい、むにゅーって当てんの。
ハンドソープランドなんだから、それくらいアリっしょ? ウケ狙お、ウケ。
「は、はぁ!? な、なに言ってんの、そんなの……っ、で、できるし! 余裕だし! ウチを誰だと思ってんの!?」
言っちゃった。
勢いで。
ギャル友は、もう次の呼び込みに行っちゃって。
残されたのは、ウチと。
きらきらした目で、ウチを見上げる、常連さんと。
……特別サービス。
おっぱい、当てる。
ハンドソープランドの、看板娘として。
「……っ、わ、わかったし。じ、じゃあ、特別サービス、したげる。……こ、これくらい、ウチには、朝飯前だから。……ほ、ほんとだし」
なんで、乗っちゃったんだろ。
たぶん。
この子の、まっすぐな目が。
ちょっとだけ、うれしかったから。
……あと、見栄。9割、見栄。
彼の手を、いつもどおり洗い始める。
にゅる、ぬる、と、泡ですべる、大きな手。
指の股を、するり。
手の甲を、くるり。
ぬちゅ、くちゅ、と泡の水音。
そして。
洗いながら――ウチは、そっと。
カウンターに身を乗り出した。
腕を伸ばして、彼の手を包んだまま。
彼の、腕の内側に。
自分の胸の、やわらかいとこを。
……押し当てた。
「……こ、これが、ウチの、特別サービス、だから。……あ、当たってるっしょ? ……ど、どう、かな」
むにゅ。
エプロンと、制服のブラウス越しに。
やわらかいのが、彼の腕に、押しつぶされて、かたちを変えるのが、自分でもわかる。
彼の手が。
洗われてる最中の、その手が。
泡のなかで、びくん、と大きく跳ねた。
「……っ、う、動かないでっ。まだ、洗い、終わって、ないし……んっ」
やば。
やばいって。
これ、思ってたよりずっと。
恥ずい。
だって、腕に押し当ててる、ウチの胸が。
彼の腕が動くたび、ふに、ふに、って押し返されて。
その振動が、じんわりウチの身体の芯まで、伝わってくる。
心臓の音、押し当てた胸ごしに、彼に聞こえてんじゃないの!?
そんな、バカみたいなこと、考えて。
「か、勘違い、すんなよ? これ、ただのサービスだから。お、お店の、演出。べ、べつに、君のこと特別とか、そんなんじゃ……っ、ん」
彼は、なにも言わない。
ただ、耳まで真っ赤にして。
洗われてる手を、ぎゅっと握り返してきた。
ウチの指を。
泡のなかで。
まるで、離したくない、みたいに。
……その、手の力に。
ウチの、胸の奥が、きゅうっと鳴った。
「もー、握り返してくんなし、洗いにくいじゃん……っ。ほ、ほら、泡っ、流すよっ」
あわててお湯をすくって、彼の手にかける。
泡が流れる。
つるつるの手があらわれる。
――でも。
ウチの腕は、まだ、彼の腕にくっついたまま。
離すタイミング、失って。
しばらくふたりで。
無言でくっついてた。
彼の腕の体温。
ウチの胸のかたち。
泡の桜の匂いと、彼の汗ばんだ匂いが混ざって。
「……お、終わり。特別サービス。……その、どうも、でした」
彼は、真っ赤な顔のまま、ぺこっと頭を下げて。
それでも、名残惜しそうに、ウチの顔をちらちら見て。
何度も振り返りながら、列のいちばん後ろに。
また、並び直した。
「……え。また並ぶわけ? ……もー、しょーがない子だな、君は」
しょーがない子。
そう言いながら。
ウチ、次にあの子が来るの。
ちょっと、待ってる。
「……なんでさ。なんで、ウチのほうが、こんな、どきどきしてんの」
腕の内側に。
まだ、彼の腕の感触が残ってる。
胸の先が、制服の下で、ちょっとツンとしてるのは。
……気のせい。
気のせい、ってことに、しとこ。
教室の外の声が、一段と大きくなってる。
ギャル友の呼び込みが効いたのか。
気づけば、教室の外には長い行列。
ハンドソープランド、まじで大盛況。
ウチは看板娘として。
にゅるにゅるの手洗いを、ギャルスマイルでこなしていく。
――でも、心のどっかで。
ずっと、あの子の順番が来るのを、待ってた。


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