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第一話:君の隣に降り立つために

オリジナル小説

数百年を生きる誇り高き銀竜の生き残り、エリアン。
人間を「弱く儚い生き物」と見下していたはずの彼が今、人里離れた山の岩陰で、必死にある「術」を行使しようとしていた。

巨大な翼を畳み、天を突くような巨体を、ぐっと凝縮していく。
おぞましいほどの魔力が周囲の空気を震わせ、やがて光が収まったあとに現れたのは――一人の人間の青年だった。

「……これで、あの矮小な人間の姿になれたか?」

一房の銀髪、そして人間のものにしては鋭すぎる、爛々と輝く金の瞳。
その佇まいからは隠しきれない圧倒的な強者のオーラが漏れ出ていた。

「人間は服を着るのだったか。」

何もない空間に手を伸ばし、宝物庫の中から特に仕立ての良い漆黒の外套を取り出して羽織る。

エリアンがわざわざ不便な人間の姿に擬態した理由。
それは、山の麓の小さな村に暮らす、クラリスという人間の少女に近づくためだった。

村の広場は、朝の活気に満ちていた。
エリアンが緊張の面持ちで足を踏み入れると、すぐに彼の目指す人物が見つかった。

麦わら帽子をかぶり、エプロンをつけた少女クラリスだ。
彼女は市場の片隅で、自分の背丈ほどもある大きな木箱を運ぼうと奮闘していた。中には、ずっしりと重い冬越しのジャガイモが詰まっている。

「う、うんしょ……。よいしょ……っ」

白い頬を赤く染め、華奢な腕を震わせながら木箱を持ち上げようとするクラリス。
しかし、箱はびくともしない。周囲の人間たちは自分の荷物に夢中で、彼女の苦労に気づいていないようだった。

それを見たエリアンの胸が、激しく高鳴る。

(今だ。人間どもは誰も気づいていない。ここで俺が颯爽と現れ、そのか弱い腕の代わりに荷物を運んでやれば、彼女は俺に感謝し、一目で好意を抱くに違いない!)

竜としてのプライドはどこへやら、エリアンは内心で完璧な作戦を確信し、フッと不敵な笑みを浮かべた。足取りも軽く、彼はクラリスの元へと歩み寄る。

「おい、そこの娘。手を貸してやろう」

声をかけられたクラリスが、驚いたように顔を上げた。
その瞬間、エリアンは彼女の澄んだ青い瞳に見つめられ、心臓が跳ね上がるのを感じた。
だが、そこは誇り高き竜の青年。
あくまでクールに、格好良く、木箱の取っ手に手をかける。

――しかし、彼はまだ「人間の力加減」というものを、全く理解していなかった。

バキッ!!!

静かな市場に、不穏な破壊音が響き渡った。
エリアンが軽く力を込めた瞬間、頑丈なはずの木箱の取っ手が、彼の握力によって粉々に粉砕されたのだ。

「……なっ!」

「えっ……?」

木箱はバランスを崩し、中身のジャガイモがゴロゴロと地面へ転がり出していく。
親切のつもりで見事な空振りをやらかしたエリアンは、砕けた木切れを握りしめたまま、完全に硬直してしまった。

「あ、あわわ……っ」

辺りに転がる大量のジャガイモ。
そして、無残に粉砕された木箱の取っ手。
エリアンは冷や汗が流れるのを感じていた。
数百年間、いかなる強敵を前にしても怯まなかった最強の竜が、今、一本の木切れを手にガチガチと震えている。

(しま、仕損じた……! 人間の物とは、これほどまでに脆いものだったのか!? 完全に俺の落ち度だ。これで彼女に『乱暴で危険な男』だと怯えられ、嫌われてしまったら――)

最悪の結末が頭をよぎり、エリアンの顔がみるみる青ざめていく。
しかし、そんな彼にかけられたのは、悲鳴ではなく鈴の音のような優しい笑い声だった。

「ふふっ、あはは! すごい力持ちさんですね」

「……なに?」

恐る恐る顔を上げると、クラリスは怒るどころか、目を丸くして楽しそうに笑っていた。
彼女はスカートの汚れも気にせず地面にしゃがみ込むと、転がったジャガイモを一つずつ拾い集め始める。

「大丈夫ですよ、お兄さん。元々この箱、古くなってガタがきていたんです。それより、お怪我はありませんでしたか? トゲが刺さったりしていませんか?」

「お、俺の心配、だと……?」

エリアンは絶句した。
自分の不手際で迷惑をかけたというのに、この少女はまず、目の前の見ず知らずの男の体を気遣っているのだ。

クラリスが向ける、一切の計算も濁りもない、ひだまりのように温かい青い瞳。
それを見つめているうちに、エリアンの意識は、数ヶ月前の「あの雨の日」へと引き戻されていった。

冷徹な竜の心が、解けた瞬間に――

それは、エリアンがまだ人間の事などよく知らず、ただ孤高に空を支配していた頃のこと。

その日、彼は同族との激しい縄張り争いの末に深手を負い、人里離れた山の洞窟で横たわっていた。
漆黒の鱗は剥がれ、翼からは血が流れ落ちる。
「人間どもに見つかれば、隙を突いて鱗や牙を剥ぎ取りにくるだろう」――そう忌々しく思いながら、彼は荒い息を吐いていた。

そこへ、激しい豪雨から雨宿りをするために、一人の人間の少女が迷い込んできた。
それが、薬草を摘みに山へ入っていたクラリスだった。

巨躯を横たえる銀竜の姿を見て、クラリスは恐怖に身をすくませた。
エリアンもまた、彼女を威嚇しようと低い唸り声をあげる。

「グルルルゥ……(失せろ、羽虫め。焼き尽くされたくなくなればな)」

しかし、クラリスの視線は、エリアンの傷口へと注がれた。
彼女はごくりと唾を飲み込むと、恐怖で震える足を無理やり動かし、あろうことかエリアンの巨大な鼻先へと歩み寄ってきたのだ。

「……痛い、ですか?」

蚊の鳴くような声だった。
クラリスは籠からいくつかの薬草を取り出すと、それを手際よくすり潰し、怯えながらも、そっと彼の傷口に塗りつけた。

「これ、傷に効くお薬なんです。私にできるのはこれくらいだけど……お願い、死なないで」

その瞬間、エリアンの全身に衝撃が走った。

人間は、弱くて欲深い生き物ではなかったのか。
なぜこれほど小さな存在が、自分を喰い殺しかねない怪物を前にして、涙を浮かべて無償の癒やしを与えようとするのか。

薬草のひんやりとした感覚以上に、彼女の小さな手の温もりが、エリアンの冷徹な心へ深く、深く染み渡っていった。
数百年の中で初めて、彼は「誰かを愛おしい」と思ったのだ。

「――あの、お兄さん? どうかしましたか?」

クラリスの声で、エリアンはハッと現実に戻った。
気づけば、彼女は転がったジャガイモをほとんど拾い終え、壊れた木箱をなんとか両腕で抱えようとしていた。

「あ、いや、何でもない! ……それより、その箱はもう使えない。俺が、俺がどうにかする!」

回想を経て恋心を再燃させたエリアンは、今度こそ良いところを見せようと、再び鼻息荒く立ち上がった。
しかし、空回り体質の彼の行動は、またしても周囲の予想を斜め上に飛び越えていくことになる。

「これを使うといい」

エリアンは迷うことなく、自らの肩に羽織っていた漆黒の外套をバサリと脱ぎ捨てた。
それは竜の里に伝わる、最高級の魔糸で織られた一級品。
一国の王が全財産を叩いても買えるか怪しいほどの至宝である。

彼はその極上の外套を泥だらけの地面に堂々と広げると、転がっているジャガイモをものすごい手際で次々と中央へ放り込んでいった。
そして、四隅を器用に結び合わせ、巨大な布の包みを作り上げる。

「な、何をしているんですか……!?」

クラリスは息をのんだ。
素人目に見ても、その外套が信じられないほど上質で高価なものであることは分かったからだ。
それが今や、土まみれのジャガイモを包む泥だらけの巾着袋に変貌している。

「これなら箱が壊れていても持ち運べる。さあ、どこへ運べばいい? 遠慮なく言え」

フッ、と完璧な(と本人は思っている)ドヤ顔を決めるエリアン。
だが、クラリスは感動するよりも先に、あまりの破天荒さに頭を抱えてしまった。

「あ、あの、お気持ちはすっごく嬉しいんですけど……そんな上等なお洋服を、お芋のために泥だらけにするなんて……! 弁償なんて、私のお給料じゃ一生かかってもできません!」

「弁償? ふん、そんなものは必要ない。俺にとっては、この程度の布切れよりも、お前のジャガイモの方が……あ、いや、なんでもない!」

危うく「お前の運ぶジャガイモの方が、世界のあらゆる宝よりも価値がある」という本音(重すぎる愛)をぶちまけそうになり、エリアンは慌てて口を噤んだ。
人間の男はもっとこう、軽妙でスマートなはずだ、と必死に理性を働かせる。

「と、とにかく、これは俺が運ぶ! 案内しろ!」

これ以上格好悪いところは見せられない。
エリアンは焦りを隠すように、ジャガイモがぎっしり詰まった外套の包みを片手でひょいと担ぎ上げた。
人間なら数人がかりで運ぶ重量だが、竜の怪力にかかれば綿毛のように軽い。

「わ、わかりました……。じゃあ、村の端にある私の家まで、お願いします……」

クラリスは呆気にとられつつも、健気に荷物を運ぼうとしてくれる彼の優しさに頬を染め、歩き出した。

(よし、ここまでは完璧だ。あとは彼女の家までエスコートすれば――)

エリアンは内心でガッツポーズを決めた。
……しかし、彼は張り切るあまり、「自分が人間の歩調を全く知らない」という事実に、まだ気づいていなかった。

ズン、ズン、ズン、と凄まじい大股で、しかも競歩並みの超高速で歩き出すエリアン。

「あ、あの! お兄さん!? 早いです! 早すぎます……っ!」

「ぬ? ……あ」

後ろを振り返ると、クラリスが小走りで必死に彼を追いかけていた。
それどころか、エリアンは気合が入りすぎて、彼女の家とは真逆の「険しい山の上」に向かって猛進していたのである。

またしても盛大に空回りしたエリアンは、その場で再びフリーズした。

「す、すまない……! 俺としたことが、完全に周囲が見えなくなっていた!」

エリアンは弾かれたように方向転換すると、大慌てでクラリスの元へと引き返した。
せっかく「頼れる人間の男」を演じるつもりが、これではただの不審な暴走男である。
穴があったら入りたい、いや、ブレスで地面に穴を穿ってそこに引きこもりたい心境だった。

しかし、息を切らせて追いついたクラリスは、怒るどころか、どこか愛おしそうな目を彼に向けていた。

「ふふ、本当にせっかちさんですね。でも、私のために一生懸命になってくれて……ありがとうございます」

「う……」

彼女の純粋な感謝の言葉が、エリアンの胸に深く突き刺さる。
人間を擬態した姿のせいで心臓が小さくなったのか、それとも彼女の言葉の威力のせいか、胸の鼓動がうるさいほどに高鳴っていた。

「……今度は、お前の歩幅に合わせる。だから、隣を歩け」

エリアンはそっぽを向き、照れ隠しにぶっきらぼうに言った。
クラリスは嬉しそうに「はい!」と頷き、二人は並んで歩き出す。

今度は、エリアンも細心の注意を払った。
チラチラと隣のクラリスを盗み見ながら、彼女の小さな靴が刻むトコトコという足音に、自分の長い足の歩調を合わせる。
それは竜として世界の空を飛び回っていた時よりも、ずっとずっと遅い歩みだったが、不思議と心地よい時間だった。

やがて二人は、村の端にある小さな、しかし手入れの行き届いたクラリスの家に到着した。

「ここです。本当に助かりました!」

エリアンは担いでいた外套の包みを、今度は壊さないよう、極上の硝子細工を扱うかのように、そっと地面に下ろした。
だが、その至宝の外套は、すでにジャガイモの土と泥で見る影もなく汚れてしまっている。

クラリスは申し訳なさそうにその外套を見つめ、それから決意を秘めた目でエリアンを見上げた。

「あの……お名前を、伺ってもいいですか?」

「……エリアン、だ」

「エリアンさん。このお洋服、私が責任を持って、ピカピカに洗っておきます!……だから、その、もしよければ……また明日、ここに取りに来ていただけませんか?」

その言葉に、エリアンの金の瞳が大きく見開かれた。

また、明日。
つまり、彼女に「また会える」という口実が、向こうから飛び込んできたのだ。

(やった……! やったぞ、俺の作戦は、結果的に大成功だ……!!)

内心で天を仰ぎ、ドラゴンの咆哮をあげたいほどの歓喜に震えるエリアン。
しかし、彼は必死にポーカーフェイスを維持し、フッとクールな笑みを浮かべてみせた。

「ふん……。お前がそこまで言うなら、明日、また来てやってもいい」

「はい! お待ちしていますね、エリアンさん」

クラリスは、ひだまりのような満面の笑みを咲かせた。その笑顔の眩しさに、エリアンはあやうくその場で人間の姿を保てなくなりそうになる。

不器用で空回りばかりの最強の銀竜と、すべてを優しく包み込む心優しい少女。
二人の、少しおかしな、けれどどこまでも純粋な恋の物語が、今ここから静かに動き出したのだった。

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オリジナル小説銀の竜と、ひだまりの乙女
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